村瀬組に入社して直ぐに担当したのは、上高地から流れる梓川に架かる梓橋歩道橋です。川幅が広くトランシットを据え対岸のセンターを視準しても夏は炎天下、陽炎でよく見えません。早朝視準すると今度は靄で見えません、現代の様な光波測定器なるものはありませんでした。他にも経験の無い私は多くの失敗と教訓を得ました。それ以上に梓橋は私の人生を運命づけた現場になったのです。真夏の暑い日、確か床版のコンクリート打設の時だったと思います、車道にミキサー車を配置し生コンを受ける段取りをしました、当然車道は交通量も多く私は交通整理、ミキサー車の誘導をしていたと思います。すると2~3人乗った同じ乗用車が行ったり来たりするではありませんか?時には現場を覗き込むような仕草。当時私は見合いの話が有り話が進んでおりました。そうです、見合い相手が私を下見していたのです。仲介の方から現場を見に行くとは聞いていましたが何時ごろとは聞いておりませんでした。後で聞くと図面を小脇に抱えヘルメットと作業着が似合う土木技士は見つける事は出来なかった様です。その時の私は??真っ黒に日焼けし赤、白の旗を持った交通整理員だったのです。
梓橋のお陰で結婚する事ができ、その時現場を覗き込んだ人が女房です。39年前の暑い夏の話です。 村瀬